「歴史和解と泰緬鉄道」著者:ジャック・チョーカー 小菅信子/朴裕河/根本敬
映画「戦場にかける橋」をご存じでしょうか?
第二次世界大戦中、日本軍が捕虜に強制労働させて鉄道を建設した歴史的事実をモデルに映画にしたものです。タイ(泰)とミャンマー(緬 当時のビルマ)の間を結ぶ鉄道なので「泰緬鉄道」と言われています。
映画ではかなり緩やかに描かれていますが、
現実の建設現場環境の悲惨さと過酷さは、想像を絶するものでした。鉄道の建設現場は密林地帯で、マラリア、デング熱、コレラ、熱帯性潰瘍など、熱病の巣窟でもあり、イギリス軍が建設を計画しましたが困難さから断念しました。
その計画を日本軍が成功させた裏には、おびただしい数の捕虜の犠牲があったからです。「枕木ひとつに一人の命…」
と言われるように、その建設によって失われた人命の数から
「死の鉄道」「デス・レイルウェイ」とも言われます。
クリフォード・キングウィック等、泰緬鉄道の研究家によれば、泰緬鉄道の建設に動員された日本軍捕虜の数は
欧米人捕虜 6万2000人 (イギリス人捕虜3万人、オーストラリア人捕虜1万3000人、オランダ人捕虜1万8000人、アメリカ人捕虜700人、ニュージーランド人捕虜若干) 死亡人数 1万2000人アジア人捕虜 (明確な数は不明だが、キングウィックは推定27万人とし、9万人は死亡したとしている)少なくとも、捕虜の4人に一人は死亡した事になります。
この鉄道は、戦時中の日本軍の残虐性と、日本政府が「アジアの解放」と自らの侵略戦争を美化した欺瞞のシンボルともなりました。特にイギリスでは、ドイツ・イタリア軍の捕虜となったイギリス兵士の死亡率が5%だったのに対し、
日本軍の捕虜となったイギリス兵士の死亡率は25%だった事から、
「第二次世界大戦中にイギリス軍が被ったもっとも最悪な損失は日本軍の捕虜収容所で行われた」
という印象をもっています(ある意味では事実でもありますが…)
「歴史和解と泰緬鉄道」は、日本軍の捕虜となり、泰緬鉄道の建設に強制労働させられたイギリス人、ジャック・チョーカーの手記とイラストが主題となっています。そして、研究家による分析や対談が載っています(コリアンガードなどの見解も書かれています。嫌韓・レイシストのネタにされやすいので下記に補足します)
ジャック・チョーカーは、日本監視兵の目から上手く隠しながら、それこそ命がけで現場の様子を記録しました。
日本軍兵士の残虐さは目を覆いたくなりますが、そんな中でも人間性をもった日本軍兵士もいました。
著書から抜粋↓
「日本人監視兵の中には思いやりをもった人物もいた。元銀行員のカニモトさんがそうである。彼のことは親愛の情をもって思い返される。我々を決して叩くことはなく、出来るだけ休息をとれるように取り計らってくれ、我々を苦しみから守ろうと骨を折ってくれた。カニモトさんとその友人は、私が収容所の様子をメモしたり絵を描いたりする事を許可してくれたが、他の監視兵は決して許さないだろう、と真剣に忠告してくれた」(この忠告に従い、ジャック・チョーカーはイラストやメモを竹筒の中に入れ、地面に埋めるなどして隠した)
ジャック・チョーカーは画家だったので、日本の芸術も知っており、その美しさを称賛していました。
その美しい芸術をもった民族が、どうしてこれ程残虐になれるのか理解に苦しんだ、そうです。
↑美しい花のイラストもある
この著書は、日本軍の残虐さを訴えるものではありません。ジャック・チョーカーは国際法を無視した日本軍・日本政府の残虐さを批判すると共に、自国の兵士を守らなかったイギリス政府に対しても批判しています。
歴史的事実を受け入れ、過去の過ちを繰り返さない為に、共に未来を築くための方法を模索する著書なのです。本書でも書かれているように
「不愉快な真実を認め、受け入れ、そこから学びとる勇気こそ、人々が理解し合ううえで不可欠な部分です。事実を意図的に無視することで、曖昧さや不誠実な表象、憶測や敵意の継続が助長されてしまうのです」腐った足を切り取る外科的手術の様子や、患部のイラストなどもあって、ショックな記述も多いですが、多くの方に読んでもらい、考えて欲しい著書です。
私は今の日本に一番欠けているのは
現実と真実を直視する勇気ではないか、と思います。現実と真実を把握しなければ、問題の正しい解決は決して出来ないのです。※コリアンガード:朝鮮人の捕虜監視兵の事。当時、日本は朝鮮半島を侵略して「日本化」していたので(実際は植民地)朝鮮人を軍属徴用していた。
戦場に行きたくなくて志願したり、強制的に連れてこられた人もいる。
日本人より朝鮮人監視兵の方が残虐だったという噂があるが、日本兵と朝鮮兵の区別はほとんど付かなかったことから、事実とは言い難い、と著書の中で研究者が話している。
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