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東方神起茶屋

東方神起(二人)に対する歪んだ愛と腐女子のオタク心を片隅で叫ぶブログ 同時に平和について真剣に訴えていきます。歴史修正主義、差別主義、絶対NO! 
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高畑監督は映画「火垂るの墓」では戦争を止められないと語る。

http://lite-ra.com/2015/02/post-886.html
「火垂るの墓」では戦争を止められない

「攻め込まれてひどい目に遭った経験をいくら伝えても、これからの戦争を止める力にはなりにくいのではないか。
なぜか。
為政者が次なる戦争を始める時は「そういう目に遭わないために戦争をするのだ」と言うに決まっているからです。
自衛のための戦争だ、と。
惨禍を繰り返したくないという切実な思いを利用し、感情に訴えかけてくる」

ようにするに、今、大量生産されているハリウッド映画のように「愛する者に守る為に戦う」「戦う兵士はカッコいい」というプロパガンダに簡単に侵されてしまうというわけです。

画家、香月泰男。
彼は日本軍兵士として満州に送られ、そこでソ連軍捕虜となり、シベリアに送られる。
その時に体験の作品のなかに「赤い屍体」が、ある。

香月泰男(立花隆)著「私のシベリヤ」より
「日本に帰ってきてから、広島の原爆で真黒焦げになって転がっている屍体の写真を見た。
黒い屍体によって日本人は戦争の被害者意識を持つことができた。
みんなが口をそろえて、ノーモア・ヒロシマを叫んだ。
まるで原爆以外の戦争はなかったみたいだと私は思った。
私には、まだどうもよくわからない。あの赤い屍体についてどう語ればいいのだろう。
赤い屍体の責任は誰がどうとればよいのか。再び赤い屍体を生み出さないためにはどうすればよいのか。
だが少なくともこれだけのことはいえる。
戦争の本質への深い洞察も、真の反戦運動も、黒い屍体からではなく、赤い屍体から生まれ出なければならない。」

立花隆は、
「日本人は、すごく悪い加害者的な行為を中国人に対してしてきたので、戦争が終わった途端に(中国人が)手近な日本人をつかまえて生皮を剥いだりしたという、歴史的事実があった。香月さんは車窓から見たその屍体を「赤い屍体」と名付けて、日本人が加害者だったということをみんなが忘れてしまっていることが、香月さんの絵をずっと描かせ続けたひとつの動機ではないか」
「この問題提起というのは、どうも日本人というのはあの戦争が終わった後、あの戦争の話というと、日本中に黒い屍体が転がっている話ばかりして、ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキというスローガンをただどなっていれば平和がくる、という感じでいるが、それはちょっと違うのではないか」
と、語る。

原爆の恐ろしさ、被害を忘れないよう訴えていく事も大切です。
しかし、加害の事実を正しく伝えることも重要なことだと思うのです。
当たり前ですが、戦争は仕掛けた国があるから始まるのです。
その加害国が「何故、戦争をおかしたのか」その誤りを正しく反省する事も、正しく検証する事もしなければ、再び、同じ過ちを侵してしまう。今の日本のように。

※ヒロシマ・ナガサキの反核運動や平和活動を否定するものではありません。
被害・加害の両方を訴えていくことが大切、という思う考えです。

第二次世界大戦終結後。
中国が日本に対して賠償請求の権利を放棄してくれたことを知っている日本人は少数でしょう。
日本がどれほどの被害を中国に与えたか知っている人も少ない(殺害された中国の民間人と捕虜は85万7千人余り、焼却・破壊された家屋は7万8千軒以上、略奪された食糧は3700万トン、石炭は2億トン以上にのぼる)
そして、日本人戦犯に対して、どれだけの厚遇で更生を行ってくれたのかも。

http://d.hatena.ne.jp/mzponta/20150811/p7
中国は最初から「大きな心」で接してくれたんだった

日本人戦犯45人の更生はいかに行われたか(人民網日本語版:2014年08月20日)

中国人民共和国の建国後、接収・拘留された日本人中国侵略戦犯は1109人にのぼった。
1956年、中国最高人民法院特別軍事法廷での審理を経て、このうち職位の高く罪の重い45人の戦犯が8年から20年の有期刑を宣告されたほかは、すべての戦犯が起訴を免れ、帰国を許された。
中国を侵略した日本帝国主義は、数えきれないほどの罪を犯した。
直接殺害された中国の民間人と捕虜は85万7千人余り、焼却・破壊された家屋は7万8千軒以上、略奪された食糧は3700万トン、石炭は2億トン以上にのぼる。
1931年の「九一八事変」(満州事変)から敗戦・降伏まで日本帝国主義は数多くの悲劇を生み出した。
平頂山虐殺や南京虐殺、潘家峪虐殺、劉店郷虐殺、四一二虐殺、重慶大トンネル虐殺、北?虐殺などその犯罪は枚挙にいとまがない。

中華人民共和国の建国後、撫順・太原の2カ所の戦犯管理所に集められた日本人戦犯に対して、中国政府は寛大な措置を取り、長期的で忍耐強く苦しい更生を施した。
中央公文書館資料保管部の研究員を務める周玉文氏によると、管理所は戦犯を罵倒したり侮辱したりすることは決してなかった。生活面では、季節に応じて衣類が配給され、アメなども与えられた。入浴は毎週1回、理髪は毎月1回とされ、肉・卵・牛乳の供給も保証された。
1956年、戦犯管理所は、戦犯らによる北京・瀋陽・長春・哈爾濱(ハルビン)・天津・上海・南京・杭州・武漢の9都市への見学を何度かに分けて企画した。彼らは、かつて日本の侵略者の蹂躙と破壊を受けた地域にどれだけの大きな変化が起こったかを見た。
国家公文書局の李明華・副局長の紹介によると、中国特別軍事法廷が1956年、戦犯45人に対する審議を開始した際、すべての戦犯は法廷の指摘する罪のすべてを認め、弁明することはなかった。ある戦犯は号泣し、床に倒れ伏せ、厳罰を乞うた。第2次大戦後の国際法廷における戦犯の審議でほとんどの被告が罪を認めなかったのと顕著な対照を示している。

1956年6月から8月まで、起訴を免じられた1000人余りの日本人戦犯が3回に分けて帰国した。判決を受けた45人の戦犯も、1人が服役中に死亡した以外は、ほとんどが刑期満了前に釈放されて帰国した。
日本に帰国後、連絡の強化のため、釈放された戦犯らは共同で「中国帰還者連絡会」(中帰連)を設立した。会の目的は、平和的な生活を送るために互いに助け合い、日本と中国の間の友情促進と平和のために戦うことだった。
「これらの戦犯は帰国後、ほとんどが中日友好を推進し守る力となった」と遼寧撫順戦犯管理所旧跡陳列館の張継承館長は語る。
「中国国民がその寛容と人道の力で彼らを『悪魔』から『人間』に変えたのだと彼らは認識していた」


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