これから映画「黄金を抱いて翔べ」を鑑賞される方にたいした事ないアドバイス。
1.社会背景や細かい過程などはあまり気にせずに
2.キリスト教を匂わせる箇所が随所にある
本当にたいした事ないな…;
では、以下は映画「黄金を抱いて翔べ」の感想です。
ネタバレ有りなので、まだ映画をご覧になっていない方は読まない方がいいです;
まったくの個人的感想と検証ということをご理解下さいませ。
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このご時世、痛みの感じる映画をよくぞ撮ってくれました。
と、思います。もうね~最近の映画ひどいな~と思ってまして…;
怪我しても大暴れ出来たりすぐ回復したり、弾当たっても死ななかったり生き返ったり;
ゲームじゃないのよ、映画は!
最近はそんな映画が氾濫していて嫌なんですよ~
「殴ったら痛いし、殴りすぎたら死んじゃうんだよ。分かってる?」
無敵のヒーローじゃない、等身大の「死ぬかもしれない」主人公を描いてくれた監督の英断にまず感謝しますわ(しかも、今時流行らないアンチヒーローよ!)
では、映画の感想いきま~す。まず、物語の背景部分。
社会的部分は正直「古い…」と感じざるおえませんでした;
これは原作が書かれたのは20年以上前だと考えるとしょうがないですかね;
私は大阪生まれの大阪育ちなので、まさに地元です。
しかも保守的な考えが強く、あまり治安もよくない地域で「暴力で解決する」って空気が濃いです(実際、道で知らない男に殴られた事が二度あります;)注意:私の住んでいる地域がね;
だから、この「暴力に対してためないがない人々」の雰囲気はよくだせていたと思います。
が、「左」とか「北」とか言われてもピンとこないんですよね;
今や暴力的でヘイトスピーチ撒き散らしているのは、明らかに「右」と「米」ですからね;説得力ないんだわさ;
でも、この映画においては「圧倒的な力をもつ国家権力に狙われる」って部分だけが重要で、背負っている名前はなんでもいいのでしょう。そう解釈した方が自然ですね。
もう一つ、この映画には随所に「聖書」を連想させるシーンが織り込まれています(私自身は無宗教で、哲学的・芸術的に興味があるだけです)
後で気がついたのですが、冒頭部分のモモがお兄さんと対峙するシーンですが、「カインとアベル」じゃないでしょうか?
聖書では「兄が弟を殺す」事になっているので逆だけど、最初は兄が弟を殺しにきたし。「額を撃ち抜く」っていう行為がいかにもそれっぽい。
一番需要な部分で投影されているのは「ユダの裏切り」ですね。
ユダとは元神父のあの人の事。
ユダがイエスを銀貨(金貨?)と引き換えに密告した事を知っている人は多いと思うけど、その後にユダが首を吊って自殺しているのはあまり知られてないかも。
となると、裏切られて国(ローマ)に処刑されるイエスは誰かというと、モモとなります。
確かにモモはある意味、幸田を変えますし「救い」になったといえるかも。
二人が教会で、バッテラ(鯖寿司)を食べるシーンも、最期の晩餐の「一つのパンとワインを分ける」を彷彿とさせます(原作では牛乳という飲み物があるから余計に)
原作ではモモの本名は「リョファン」で「クリスチャンという意味」と書かれているし、最後の文章はモモの言葉「神の話をしたい」を幸田が復唱する形で終わります(もしかして、最後の船は「ノアの方舟」?考えすぎか;)
ここまで「聖書」を彷彿とさせるシーンのある邦画って珍しいのではないでしょうか?(洋画はいつでも盛り込まれているけど)
それだけ「罪」の背負った者を描いた映画なのかもしれません。
さて、次は物語と登場人物の感想を…って長くなりすぎた…;
次回にまわします~おやすみなさい~Good Night~
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